東日本大震災から10か月たって

昨日で東日本大震災から10か月が経過した。
震災地域の現状は連日テレビで放映されているが一向に復興が進んでいないのが現状のようだ。

一か月半前に特に被害の大きかった宮城県気仙沼地区に視察に行ったが、行くにあたって震災で被害の大きかった地域がどうなっているかを想像していたが、それは「戦後の復興」だった。
空襲で壊滅的な打撃を受け焼け野原にある雨漏りのするようなバラックの中で未来への希望という光を見て必死に復興しようとするたくさんの人々が犇めき合い溢れんばかりのエネルギーを発している光景

しかし、実際に見た光景は発災後すさまじい瓦礫は一か所に集積されたものの、構築物はほとんどなく、さらに人もいない、本当に何もない、動いているものといえば瓦礫の集積場のクレーンがゆっくり動いているのみで、人々による復興しようとする活気は皆無だった。

8か月もたってこの状況であることに対し、政治に携わる者としてやり場のない激しい憤りと自らの無力さを強く感じた。

さらに、仮設住宅に住む人たちは現在も雇用を失った状態であり昼間はすることがない。パチンコが大繁盛しているそうだ。また、震災による心的ストレスからかアルコール依存症も深刻な問題になっている。

しかし、このようなことは誰も好きで行っているわけではない。被災地では支援金としてのただお金をもらうのではなく、労働の対価として貰いたいという声が多いと聞いている。

幸せとは自分以外の人間に求められることではないだろうか。このため労働は極めて重要であり一刻も早く雇用を創出しなければならない。

東日本大震災は死者・行方不明者は約2万人、によって岩手県、宮城県、福島県、茨城県、千葉県など三陸沿岸から関東地方沿岸の集落では壊滅的な被害が発生した。戦後最悪の災害であり、まさに非常事態であった。
しかし政府は震災直後から非常事態とは認識をせず、通常事態の体制で対処をした。
非常事態とは状況が一変し速やかに方向転換をしなければならないのであり、まずは非常事態と認識をして権限を集中し速やかに方針を出して、さらに実際の行動を促進するよう動機を与えなければならない。
ところが通常事態とし、みんなで相談して同意を得ながらすべてのことを決めていく体制のまま対処した。このため、様々な思い、利害等により時間だけを浪費し、方針さえ現在も出せない状態が続いている。

通常の状態で新たな街づくりをするといったらどれぐらい期間かかるのだろうか。
10年、30年、50年という長い時間をかけて行うのであり、政府はこれを行おうとしている。
これでは被災地がいつまでも復興できないだけでなくそこにいる人たちをダメにしてしまう。

次なる災害は待ってはくれないこのため一刻も早い政権交代を誓う。

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