前の10件 | -

一票の格差「無効」判決を受けて

去年の衆議院選挙のいわゆる1票の格差に対する一連の裁判で、全国に起こされた16件の判決が27日までに出そろいました。
判決は「選挙無効」を言い渡した2件を含め、「憲法違反」の判断が14件に上っています。
最高裁の「違憲」判決から1年9か月あったにもかかわらず是正することなく衆議院選挙に踏み切ったのは立法府国会の怠慢と言えます。
しかし、今回の判決、特に「選挙無効」は首相の解散権を縛るものとなり、議会の提出できる内閣不信任案決議と首相の解散権の力の均衡を著しく損なうことになります。
一票の格差が2倍以上となれば首相は議会を解散することができなくなり、議会は大きな力を得て解散を恐れず内閣不信任案決議を提出することができ乱発を招く恐れがあります。
これによって国会が政局ばかりを追求し次々と首相が入れ替われば大きな混乱を招く。少々行き過ぎた判決と言えるのではないでしょうか。
また、憲法第14条に規定された法の下の平等に反する1票の重さを同じにするとの解釈からこのような判断がなされていますが、本当にそれがこの日本のためになるのでしょうか。
私の選挙区のある山梨県は今回の改正案「0増5減」により選挙区が3から2減ってしましいます。これに対しお隣の東京は選挙区が25あります。
議会はあくまでも数です。よってどちらが議会の中で力を持つことになるかは言うまでもありません。
東京で働く方々は家賃などの問題から郊外に住み片道1時間半程度のすし詰め電車に揺られ職場に向かいます。私もこの経験がありますがこれがなければもっといい仕事ができるのではと当時よく思いました。
あきらかに集中しすぎて効率が悪くなっています。
さらには東日本大震災時、東京はインフラの故障、輪番停電などにより大きな混乱を起こしました。行政、経済が集中した東京が混乱することは日本が混乱することであるということが良く分かりました。これが直撃だったらどうなるのでしょうか。
機能の極端集中は危機管理上問題があり、ある程度分散させなくてはなりません。
それ比して、地方はどうか。
私の選挙区を歩くと、ここから先三軒空家、その次の家にはおばあちゃんが一人で住んでいる。独居老人が非常に多い。仕事はなく若者は住めない。激しい高齢化と人口減少・過疎化に苦しんでいます。
以前、「地方は都会への人の供給源でしかない」と失礼なことを言った人がいましたが今はその人すら供給することができなくなっています。
地方の衰退は必ず都会の衰退にもつながる。
この選挙制度のまま整備を行っていけば都会の議員が多くなり地方は少なくなります。これは言い換えると地方の声は都会に比して届きにくくなるということです。
都会から地方に人の流れを作っていかなければならない今、この制度は明らかに逆行しているといえます。
法律には沿っているのかもしれませんが日本のためになりません。
アメリカでは上院は人口に関係なく各州2名づつ、下院は日本と同じ制度となっており、上院では一票の格差が70倍以上にもなります。
しかし、地方の声を届けるためにこの制度を採用しています。
日本も人口だけでなく行政区、面積などを考慮し地方の声がより届きやすい制度にする必要があると考えます。
憲法改正を含めた抜本的な選挙制度改革が必要です。

今後の政治はどうあるべきかについて

今、日本の政治は非常に混迷を極めています。野田首相が政治生命を賭けるといった消費税増税法案に対し、自民、公明と野党の賛同を得ましたが、与党内の小沢元代表がこの法案に反対する、また離党も視野に入れるとして同調する議員をかき集めています。
 自民、公明が賛成すれば小沢元代表らの造反は法案否決にはならないが、54人以上が大量離党すれば与党は衆議院において過半数を構成できず、単独で法案を通すことが出来なくなり政治がさらなる混乱に陥ってしまいます。
 ここでのポイントは、この混乱は与党と野党の間にできたものではなく、与党民主党内にあるということです。
民主党は自民党を倒すことを目的に結党しました。数を集めるために政治理念を無視したため考えの幅が広すぎて党の理念である綱領をつくることさえできません。
よって、党内で何かを決めようとすると必ず反対するものが多く出てしまいます。思い出していただきたいのですが去年の今頃は菅首相を党内で下す動きが活発化し大きな混乱が生じました。このようなことを繰り返しています。これでは決める政治はできません。
では、我が自民党はどうか、自民党には綱領があります。ざっくりいえば「まずは自分の足で立ちましょう。それが出来なければ家族・友人・地域で支えあいましょう。それもできない場合には公の力で」「近代化・西洋化一辺倒ではなく日本らしい日本を創りましょうそのためには自主憲法制定をしなければならない」
私自身、自民党を選んだのはこの理念が日本を再生するには必要になると思ったからです。
しかし、自民党は政権に60年間ある間に理念による政治を推進するのではなく政権を維持することが目的となってしまいました。民主党ほど幅は広くはありませんが党の理念とは違う考え方も多く入っている。
よって自民党もなかなか物事を決めることが出来なくなっています。
二つの同じような党が同じような政策を出して議論しているためどうしても足の引っ張り合いのような議論しかできない、本来は各党の理念に基づきどうあるべきかについて議論を戦わせなければなりません。
どうあるべきかとは、内政においては「小さな政府なのか、大きな政府なのか」外交安全保障については「より自立をするのか、より他国との関係を強化するのか」といったような議論をしなければならないと思います。
この理念なき政局ばかりで何も決めることが出来ない政治から脱却しなければなりません。そのためには党は理念で集まらなければなりません。
政界再編は必須です。その兆候は見えています。このチャンスをとらえこの日本に必ず理念の政治を取り戻す。そのためであればいかなる困難があろうとも強い信念をもって行動することをお誓い申し上げます。

北朝鮮拉致問題を風化させてはならない

「継続は力」自由民主党では「北朝鮮拉致問題」を風化させないようにと平成16年から毎年6月にこの問題をテーマに一斉街頭演説を行っています。
では、まず「北朝鮮拉致問題」とは何なのか。
これは、北朝鮮という国家が主導するテロリズムです。中東でよくある市街地で爆弾を爆発させ何の罪もない人々の生命または自由を奪う行為と同じです。
1970、1980年代ごろ北朝鮮の工作員・土台人が何の罪もない人たちを誘拐し北朝鮮に連れて行きました。理由は韓国に対する工作活動を行うとき誘拐し教育した日本人を利用することが外交上有利だと考えたからと言われています。
拉致被害者として国が認定しているのは12家族17名、国は認定していないがその疑いがあるとする特定失踪者は数百人と言われています。
まだ皆さんの記憶にもあるかとは思いますが2002年、当時の小泉首相が訪朝して拉致被害者のうち5人を連れて帰ってきました。
一部の政治家、マスコミがそんな事実はないというキャンペーンを張っていて本当にいるのかどうかと私自身も疑っていました。当時自衛官でしたが「本当に拉致被害者は存在したのだ」と驚いたのを覚えています。
 残りの12名の方々については北朝鮮の発表では8名は死亡、4名は国境を越えていないという回答でした。ところが横田めぐみさんの例をとると、その死亡を発表しているときに帰ってきた5名のうちの一人の方が会っているそうです。よって残りの8名についても死亡していない可能性があり、それらは嘘である可能性が高いといえると思います。
 この問題はまだ今も続いており、たくさんの方々が異国の地である北朝鮮の暗い部屋の中で自由を奪われ、我々が迎えに来るのを待っているのです。
 解決するために一番必要なものは何か。それは国民の皆さんがまず関心を持つことです。日本は民主主義ですから、皆さん、たくさんの方々がこの問題を解決しようと思わない限り解決できないのです。
 皆さんには是非、この問題に正面から向き合う我々とともに戦っていただくことを切に願います。
 では、どうすれば問題を解決できるかについて私なりの考えを述べます。
北朝鮮は「拉致問題は解決済」としていおり、拉致被害者を自発的に返すとは考えにくいといえます。
ではどうするかそれは我々の手で取り返えすしかないのではないでしょうか。
まずは「どこで何をしているのか。どういう状態にあるのか」についての情報をとらなければなりません。あまりにも情報が少なすぎます。情報をとるためにはパイプが必要です。ですから、今の対北朝鮮外交を見直し圧力一辺倒ではなく時には支援するなどして繋がりを構築しなければなりません。それを戦略的なやる必要があります。
 このようなことは外務省の外交官がやっていましたがこれではだめです。情報のスペシャリストでなければできません。よってこれを育成し態勢を整えるためにも情報省を立ち上げるべきだと考えます。
  次に、その邦人を救出する態勢を構築しなければなりません。自衛隊がヘリコプターや航空機で飛んで行ってその邦人を救出することは現在の法律ではできません。国とは主権を有しています。主権とは我が国の国民を他国の都合でコントロールされないということです。これは少人数だからいいというものではありません。一人でも許すことはできないのです。このようなことでは国家とはとても言えません。今も異国の地で他国の都合によりその自由を奪われている日本人がいるのです。一刻も早くこれを救出するための国家として法整備を早急に行うべきです。
最後に、これらは自民党でなければできません。
民主党には拉致に大きくかかわったとされる辛光洙という大物スパイが逮捕された時、これを釈放すべき、そんなことは無かったと言って署名した議員がいます。それは菅元総理、千葉元法相、江田元議長です。彼らは民主党政権の中枢にいます。このような党には絶対にできません。
では、自民党はこれまで何をしてきたのか。自民党の中にもここまでとはいきませんが拉致解決を進めようとすると反対する議員がいたのです。しかし、自民党は下野をいたしました。これは自民党が「国民の皆さんの生命を守る」という保守政党として原点回帰する機会を国民の皆様に頂いたと思っています。
この機会をとらえ必ず原点回帰を成し遂げることをお誓い申し上げ閉めたいと思います。

国会の事故調査委員会最終報告のための論点整理内容を見て

昨日9日「事故調査委員会」が最終報告のための論点整理を発表しました。
一つ目は現場対応の重要な時期に菅元首相が原発を視察したり、また吉田処長の携帯電話に電話をしたり、官邸が現場に初歩的なことを幾度となく問い合わせたりしたことなどを取り上げ「オンサイト(発電所内)過剰介入し事故対応を妨げた」としました。
二つ目はスピーディーに未活用などを指摘し「官邸の情報伝達の遅れが初動において適切に対処できなかった」としました。
内容は「まさに人災だった」と言っているに等しく官邸にとっては厳しい内容です。
一つ目の内容を見て私は高倉健主演の「八甲田山死の彷徨」という映画を思い出しました。新田次郎原作で実際にあった遭難事故をノンフィクション小説にしてベストセラーになり、それが映画化されたものです。
旧陸軍の八甲田山雪中行軍の訓練において現場指揮官であった神田大尉の指揮を上級部隊指揮官の山田少佐が過剰介入し指揮を混乱させ、経路を間違えたり、無理な要求をしたりして結局部隊を遭難させてしまい210名中199名がなくなったというものです。ぜひ皆さんにも一度見ていただきたい。過剰介入がいかに現場を混乱させるかがわかります。
菅元首相は市民運動家ということもあり国家権力に対し個人の権利を確保するため戦う点では良いのかもしれないが、組織を熟知しておらず国という大きな組織を動かす指揮官としては不適だったのではないでしょうか。
これはもちろん元首相ご本人の責任もあるが、首相にした民主党政権にも大きな責任があるといえるのではないでしょうか。
二つ目のスピーディーですが、これを当時、そのまま公表することは大きなパニックを引き起こすという点では私も慎重な意見ですが、これに基づき速やかに避難計画を策定し対象地域にいた福島県民に対し避難を促すことは「国民の生命を守る」政府としては絶対にやらなければならないことだったと思います。
官邸の怠慢によりこれがなされなかったとするなら大問題ですが、枝野当時官房長官が言うように現場は錯綜し適切に情報を処理できなかったというのが実情ではないでしょうか。

このことからもわかるようにこれらは個人の能力で処理できる範囲を大きく超えています。よって次の2点早急に整備しなければならないと考えます。

一つ目は情報省の立ち上げです。
米軍で一番優秀な将校はまず情報将校になります。それは情報がそれだけ重要であり、情収集、処理、使用というのはスペシャリストでなければスムーズに行うことはできません。たま、それ相応の能力が必要です。国としては情報省を立ち上げスペシャリストを養成するとともに、普段から態勢を整備しておく必要があると考えます。
二つ目は非常事態省の立ち上げです。
永田町で見ていてわかったことは、日本には非常事態に対処する態勢の準備がなく、今回の対応は平時の態勢で対処したというのが事実です。権限を集中し省庁横断的に迅速に状況判断し決定していかなければならなかったにも関わらず、権限の集中は行われず省庁縦割りで動きが鈍かったのが実際です。
よって、これを是正するため平時から非常事態に備え対処する組織を整備し、事態に応じて権限を与え対処させるようにしなければならないと考えます。
今回の東日本大震災では500km海岸線が瓦礫と化し、2万人近い方々が亡くなったり行方が分からなくなったり、福島では故郷を追われた方々が今も大勢います。
この犠牲、苦痛に報いるためにも上記のことを進めなくてはなりません。次なる災害は待ってはくれません。一刻も早く動き出すことが今回の教訓をとらえ次に生かすことになるのだとおもいます。
私もこの一助となるべく全力を尽くすことを皆様にお誓い申し上げます。

小沢元代表の党員停止解除を受けて

民主党は8日の常任幹事会で、政治資金規正法違反事件の1審で無罪判決を受けた小沢一郎元代表に対する党員資格停止処分を10日付で解除することを正式決定しました。

これにより、小沢グループでは次期代表選にとの声も上がり始めているそうです。
元代表が次期代表選に出馬するには代表選まで政権を維持しなければなりません。となるとグループは元代表が反対し、首相が「政治生命を賭ける」と言ってはばからない消費税増税法案の提出を9月の代表選以降に持っていき法案提出を遅らすことで時間切れを狙うでしょう。それに対し、首相は代表選前に法案の採決に持っていきたい、よって今国会の会期末の延長時期をいつまでにするかを巡って党内の争いが始まるのではと思います。

一方、野党の幹部たちは説明不足を理由に元代表の証人喚問を求めています。

しかし、会期末がどうなろうがどうでもいいのではないでしょうか。
また、元代表の証人喚問も見たいと思っている国民はそんなにはいないはずです。むしろ国民の皆さんは足の引っ張り合いにうんざりしています。

足を引っ張らなくても民主党は必ず自壊します。よって自民党は消費税増税法案、赤字国債特例法案の審議を通じ、今後日本がどうあるべきかという像の民主党との違いを示す政策論争をすることが重要なのではないでしょうか。
民主党は党内に大きな不安を抱えているのですから自民党の案を呑ませることが出来るはずです。それが自民党の考えるあるべき姿、自立に根差した自由で闊達な社会に日本を向かわせることになり、国民の皆さんの生活を良くして信頼を取り戻すことが出来るのだと思います。

これが真の野党です。そうすればおのずと政権交代になります。

自民党が党利党略ではなく日本のこと考え行動する姿を国民の皆様に見ていただくチャンスです。

あせらず、今こそ責任政党としての自覚を!

現役国会議員に強く促したいと思います。

国内全原発停止を受けて

北海道泊原発3号機が5日11時3分、発電を止めて定期検査に入り、国内の商業用原発50基がすべて停止しました。
それでは全原発を止めた現在、日本の電力供給はどのようになったのでしょうか。
震災前の日本の発電の割合はざっくり火力発電が60%、原子力が30%、水力、自然エネルギー等その他が10%程度でした。
これに対し、震災後、再稼働が困難になった原発の30%分を補うため火力発電を75%まで増加させるとともに、残り15%を節電により乗り切ろうとしています。
原発をゼロにすることは発電の有力な手段を一つ失うことになり、火力発電の増加は石油、LNGへのさらなる依存が高まるとともに、余剰電力がなくなり柔軟性を失ったことを意味します。

日本はこの今の時点で原発ゼロにして本当に良いのでしょうか。
電気は体に例えると血液です。供給に大きな問題を抱えることは家庭、インフラ、産業に様々な機能不全を起こしてしまいます。これは昨年の計画停電を経験からわかると思います。

よってエネルギー政策は安全保障政策と言えます。
いかにしてエネルギーを安定供給することができるか。資源のない国である日本としては資源の輸入において単独または少数の他国に脅威を受けないようにしなければなりません。
このためにはエネルギーを得る手段を分散させる必要があります。

たとえば、70年前、日本は電気、動力としてエネルギー供給手段のほとんどを石油に依存しており、その80%以上をアメリカから輸入していました。そして、これを禁輸され戦争をしました。

また、中東戦争に端を発した第一次、第二次オイルショック時、中東の石油による発電に大きく依存していた日本は供給途絶の危機を経験し、発電手段の見直しを迫られ、供給途絶のリスクの少ないLNG、石炭、原子力、自然エネルギーを推進して発電手段の分散を行い石油による発電を全体の7.5%まで下げました。

これらは安定供給するためには単独または少数の他国に脅威を受けないようエネルギー供給手段を分散させなければならないという良い例と言えるのではないでしょうか。

原発に100%の安全はないことは福島で証明されました。その被害を見ても、これは過渡期のエネルギーであることは明らかです。しかし代替え手段の確立されていない今はすぐに止めてしまっては、ただ大きな発電手段を失ってしまうことになり、供給途絶リスクが高まってしまいます。
今すべきは原発から自然エネルギーに切り替えるためのロードマップとして研究開発・施設設置促進への予算配分、制度設計を示し、それまでの間は原発の安全性を高めてそれで補うなどの現実的な20年、30年先の将来のビジョンを示し強力に推し進めていくことが求められているのではないでしょうか。

国の電力供給途絶のリスクと原発リスクどちらを取るべきかを決め、国民のみなさんを説得し良い方向へ導くのが政治家です。

現政府に原発再稼働に対するより一層の努力を求めいていきたい。

憲法記念日に思う

本日は憲法記念日ということもあり、憲法についての私の考えを書きたいと思います。

憲法とは言うまでもなく国の最も高い所に位置をする法律、ルールです。
国民生活には直接関係ないため関心が薄く「あんまり影響ないんじゃないの」と思っている方々が大半ではないでしょうか。
しかし、我々の生活に直接関係のある民法、刑法等の法律すべてはこの憲法から派生するようにして作成されており、これらの法自体が憲法に非常に影響を受けています。よって普段の生活でそれらの法に触れる我々も自然と憲法の影響をいろいろな時期、場所において、またさまざまな角度から常に影響を受けているといえます。
そう「非常に大きな影響を受けている」言いたいのです。
では、我々が大きな影響えを受けている日本国憲法について考えてみましょう。
日本国憲法はちょうど65年前の今日5月3日に発布され、今日まで一度も変えられることなく現在に至ります。
日本が独立国として主権を取り戻したのは60年前ですから65年前の状況は先の大戦に敗れアメリカを初めてとする連合国の占領下にありました。よって、占領下において作成された憲法であり占領する側であった連合国の意向が色濃く反映されているのは言うまでもありません。
当時の連合国の意向とは、日本が連合国に二度とは向かわないように弱体化させるにあったのではないでしょうか。少なくとも私が連合国側であれば当分戦争はしたくありませんからそうするでしょう。
そして、我々は65年間かけて憲法に大きな影響を受けました。その証拠が今の日本の現状にあるのではないでしょうか。
大阪でよく話題になっていますが国旗・国家を忌み嫌う反日的な教師に私たちの子供が教わっている。
東日本大震災の対応では非常事態条項がなかったためあの戦場のような状況を平時の法律で対処しました。それが対処の迅速さ欠き、いまだに復興が進まない原因でもあります。
情けないと思った方も多かったのではないでしょうか。尖閣、北方領土、拉致等、領土・国民を守ることが出来ない現状。
また、北朝鮮のミサイルでは国としての防衛力整備不足を露呈しました。
これらもこの憲法の成果であり今まさにそれが花開いているといえるのではないでしょうか。
だったら変えましょう。
まず、人間は神ではないので絶対的に正しいものなど創ることはできません。ですから創ったものを時代・状況に合わせて修正しより良いものにしていこうとします。
たとえば、サッカーというスポーツもそうです。サッカーも毎年細かいルール改正を行い、どうすれば面白くなるのかということを追及しています。
最初は手にボールをもっていましたがボールを足だけで扱うようにしました。するとスピード感が出て面白くなりました。
激しい反則に対しイエローカード、レッドカードを作りました。すると反則が減りスムーズになりました。
もっと面白くするためにゴール前の反則を減らすペナルティーエリアを設けました。するとゴールが増えさらにおもしろくなりました。
こうして現在のサッカーになり我々も見たり実際にやったりして楽しんでいます。当時のままだったらこれほど浸透してはいなかったでしょう。
憲法だって同じです。徐々に変えどうすれば良くなるのかということを追及していかなければなりません。
憲法は変えないものだと思っている方がおられますが、そんなことはありません。たとえば終戦後、アメリカは6回、フランスは27回、同じく敗戦国だったドイツは58回も憲法を改正しています。
日本国憲法を草案に大きくかかわったとされるダグラス・マッカーサ当時GHQ総司令官は「私はこの憲法を創ったが日本は20年ぐらいすればこの憲法を破棄し新しい憲法を創るだろう」と言ったそうです。
また、「自分の国のルールは自分たちで決めるべきだ」ということです。日本国憲法は連合国の意志が反映されていると申し上げました。ですから我々の意志によって作る憲法に変えなければなりません。このままでは主権をもつ独立国とは言えないのではないのでしょうか。
我々は当時連合国の作った遊園地の中でずっと遊んでいるようなものです。
いまだに当時の連合国に動かされているといっても過言ではありません。我々日本人の性質、性格、価値観を反映した我々の作った憲法に変えることで遊園地から出て我々の作った町に行きましょう。それが真の独立と言えるのではないでしょうか。
このことが日本の強さを取り戻し、今の閉塞感を打破して新たな方向を指し示すことになると考えています。
我が自由民主党は「自分たちで憲法を創る」ために立党いたしました。私が自民党を選んだ理由もそれです。しかし、これまでにもチャンスがありながらそれをしなかったのも自民党です。
猛省し立党の精神に立ち返り何としてでもこれを成し遂げなければなりません。
私も命がけで行動することを皆様にお誓い申し上げ、閉めたいと思います。

座右の銘 ~桜の咲く季節に思う事~

すべての始まりを意味するかの様に、桜の花が一斉に芽吹くこの季節、皆様、いかがお過ごしでしょうか。わたくし、なかたに真一は、皆様と共に、新しい日本を創る為、引き続き全力で取り組んで参りたいと考えております。

「逆境は己を磨く為の天与の機会である。それを乗り越えてこそ人は成長する。」

自衛隊時代、わたくしは、この言葉を胸にどの様な厳しい訓練にも立ち向かい、自らの向上と社会への貢献を使命として、今日まで突き進んで参りました。

そして、今、日本は、乗り越えなければならない数々の問題に直面をしております。
経済悪化、社会保障制度の破綻、震災対応の遅れ、少子化、安全保障の歪・・・
これらの逆境を乗り越え、そして、日本が大きく成長を遂げる為には、日本の資源、財産とも言える国民一人一人が、『自分らしく・自分で考え・自ら発想し・自ら行っていく』事の出来る社会創りを目指していく事が必要なのではないでしょうか。

この様な危機的状況の場合、本来ならば、政治が日本の利益追求、そして国内環境の健全化を目指し全力で取り組まなければならないはずなのですが、今の政治は、国民の目線を無視し、党内融和、政権の維持こそが本来の政治の目的として捉えている様に思えます。

国民の足を引っ張る政治は、必要ありません。

本来目指すべき政治の役割とは、努力し頑張る人の力を引き出す為に、社会に多くのの機会を準備する事、そして、国民の自立を阻害するかの様な社会保障を見直し、どこまでが必要な保護で、どこからがしてはならない保護なのかを見定める事です。
その為には、無意味なバラマキや無駄遣いを止め、チャンスを生む可能性に投資をする必要があります。そして、地道に頑張る人が理不尽さや矛盾を感じない様、保障を見なおしていかなければなりません。

人が自分らしく活き活きと力を発揮する事が出来る社会創りを実現したい。
日本人が世界に誇れる、伝統・文化、価値観を大切に守りたい。

改革すべき所と保守すべき所とのバランスをしっかりと持ち、今後も、初心を忘れずに前へ突き進んで参りたいと考えております。

最後に、先日、4月11日に開催させて頂きました講演会では雨の中にも関わらず、大勢の方々にお集まり頂く事が出来ました。本当に有難うございました。
初めての講演会という事もあり、未熟な点が御座いました事、心よりお詫び申し上げると共に、その中でも皆様がお声を掛けて下さいました心温まる励ましの御言葉は、今後のわたくしの活動における、大きな責任として重く捉えていきたいと考えております。その責任は必ず、政治というフィールドで果たして行く所存でありますので、今後とも何卒応援の程を宜しくお願い致します。

事務所開きのご報告

去る2月2日大安の日、無事に中谷真一事務所を開かせて頂くことが出来ました。

資金無し、地盤無し、やる気だけは人一倍といった状態からのスタート。
自らの事務所を持つという事は、私にとって大きな通過点の一つでもありました。

この度、無事に事務所を開かせて頂けたのは、支援者の皆様方のお力添えがあってことだと強く痛感をいたしております。
今後はこの場所を、政治活動の場のみならず地域のコミュニティーの場としても活かしていけたらと考えております。
建屋の中に育児スペースを設け、気軽に子供を連れたママが訪れる事の出来る場所として。
老若男女全ての方にお茶飲みがてら来て頂き、身近にある問題や日本や政治への提言など、政治を身近に感じたり参加して頂ける場にしていきたいと思います。

家賃を安くしてくださった大家さんをはじめ、パソコン・机・椅子をお貸し下さった支援者の皆様に対し本当に心より感謝を申し上げます。有難うございました。
また、Twitterやオフィシャルサイトのコンタクトにて、ご意見をくださる皆様、応援してくださる皆様にも感謝を申し上げます。ご意見は全て目を通しておりますし元気を頂いております。ありがとうございます。

引き続き、御支援と応援のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。


事務所の場所ですが、〒400-0206 南アルプス市六科556-1
52号沿いの御勅使公園入口にあるJマートの隣、ブラジルレストランだった建物です。
皆さん是非、お気軽にお立ち寄り下さい。

地図や電話番号など近日中になかたに真一オフィシャルサイトに掲載する予定です。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

歴史教育について思うこと

本日は「史の会」の会合に参加させていただきました。
「史の会」は保守系の会で歴史、教育、政治について提言などをまとめ行政に申し入れる活動等をしている。
参加された皆様と現在の教育・政治の問題点、今後どうあるべきについてなど議論いたしました。非常に有意義な時間でした。心から感謝申し上げます。

ここで私が歴史教育について思うことを述べたい。
我々の世代は「糸の切れた凧」のようだ。風が吹けばどこかへ飛んで行ってしまいそうだ。自らがどこからきてどこへ行くのか考えることもほとんどない。
それは「連続性」を失っているからだと思う。

65年前の戦争から特に近現代史は反戦の旗印のもと、自虐史観ともいうべき自己否定を繰り返している。

人間は前向きでなければ生きてはいけない。この後ろ向きな自虐的歴史教育を直視することができない。よって、知ろうとすることをやめてしまう。

近現代史をほとんど勉強した記憶がない。この部分が抜け落ちているといえる。それより前の歴史を勉強しても連続していないためどこか違う国での出来事のように思えてしまう。

我々は生かされている。それは先人の努力や犠牲の上に成り立っている。しかし、現在の教育からそれを感じることはほとんどない。これで我々は未来のために努力し犠牲を払うことなどできるのだろうか。「今さえよければよい」というようになりはしないのだろうか。

物事はとらえ方によって見方は変わるもので歴史もしかりである。しようとさえすれば、近現代史についてももっと前向きにもっと肯定的にとらえることができる。

これが、未来のために「連続性」を取り戻すためのアプローチといえるのではないだろうか。

「今さえよければよい」という考えによる不具合は様々なところで表れておりもう待ったなしである。急がなけれならない。


前の10件 | -

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。